きらきらひかれ

テレビもねえ ラジオもねえ おまえにそれほど興味もねえ

東現京

 

 

フリーターの友達とバイト帰りに遊んでカラオケにたどり着いて朝帰りした日、ベタつく体と無敵の気持ちを洗い流しながら私はなんでここにいるんだろうと絶望した。ちゃんとやってきた。ちゃんと頑張った。ちゃんと生きてきた。なのにどうしてここにいるんだろう。

朝帰りは本当は好きじゃなかった。若さとそれ故の体力を代償にしてまで歌いたい歌なんかなかったけど、その浪費を許容できるほどに若さが有り余っているという実感がもたらす無敵感が気持ちよくて楽しくて、何回も懲りずに馬鹿みたいに馬鹿になって遊んだ。あまりに刹那的で衝動的な遊びの後、帰ってシャワーを浴びると急に寂しくなって、人生の賢者タイムってここかなとか考えながら鬱々とした切実な文章を書き連ねる。その自称行為までセットで癖になっていた。カーテンを閉めて灯りを消して、たった1%の朝陽が鈍く照らす部屋のベッドで今日と昨日と、そしてこれまでの人生の間違い探しをする。誰かのよくわからない正解と並べて、間違いの方にしてしまった自分の人生を思っているうちに眠くなって、そうしてまた、今度は比べるまでもなく明らかに間違いの1日が増えていく。

 


地方の大都市の郊外に生まれた。つまるところそこは地方だった。当たり前みたいに地元の公立小学校に進んで、当たり前みたいに地元の公立中学校に進んだ。少し荒んだこの街では貧乏で頭の悪いやつが強かった。小金持ちで頭のよかった私は浮いていた。でも私からすればこいつらが沈んでいるだけだった。この街を早く抜け出したくて、一生懸命勉強を頑張った。ずっとこいつらとは違うと思っていたし、こんなところに混ざりたくないと思っていた。顔を合わせたくなくて親に頼み込んでわざわざ隣町の塾まで通った。それでも当たり前みたいに地元の1番賢い公立高校を受けた。高校受験には落ちた。「合格や不合格よりも努力したという事実が大切だから。また大学受験でリベンジできるように挫けず頑張れよ」という塾長の言葉にどういう感想を言えばいいのか、あの時も今もわからない。

渋々進んだ高校はいわゆる自称進学校で、キリスト教系の自由な校風の中で蔓延る国公立信仰と厳しい先生たちが気持ち悪かった。抑圧された自由もどきの中で挫けないために大森靖子を聴いていた。イエスと国公立の代わりに大森靖子を信仰して、学校に隠れてバイトしたお金で1人夜行バスで東京に行った。三軒茶屋大森靖子のライブを見て、ホテルのある新宿に戻るための田園都市線の中で本当の自由はここにあると思った。汚い渋谷の光が人生を今までで1番眩しく照らしてくれた。この時から東京で生きることが人生の目標であり希望になった。

東京の大学に行きたかった。でも私の学力では東京の国公立に入れなかった。東大や一橋には手が出ないし、唯一どうにかなりそうな首都大東京は八王子だったので絶対に嫌だった。大都市の郊外は結局地方だということを、私は嫌というほど知っている。早慶やMARCHの学費と一人暮らしのためのお金はうちでは払えないと母に言われた。うちは小金持ちであって大金持ちではないし、ただでさえ高い私立高校のお金を私のせいで払わせているのだから何も文句が言えなかった。自習室を使いたいと頼み込んで1科目だけ通わせてもらっていた天王寺河合塾には、「関関同立大英語」の授業はあっても「MARCH英語」の授業はなかった。自称進学校は相変わらず国公立以外を大学として認めていないかのような口ぶりでなりふり構わず琉球大学さえも勧めていたので学校の先生には相談しなかった。家から通えるし、西日本の私立で1番頭がいいし、そして何よりも早稲田大学との交換留学制度があるからという理由で京都の同志社大学を受けた。ちゃんと受かった。今度こそ自由があればいいなと思った。東京の大学へは行けなかったけど、挫けなかったしリベンジは成功したのかもしれない。学校の先生からはおめでとうと言われないまま静かに高校を卒業した。

結局、母の配慮で京都で一人暮らしをすることになった。東京じゃないけど、とりあえず地元から抜け出せたのが嬉しかった。地元の同級生は全員馬鹿だから同じ大学に進んだという話は聞かなかった。コロナで1回生の間は片手に収まるほどしか大学に行ったことがなかったけど、そんなことはどうだってよかった。

京都の街は好きではなかったので、緊急事態宣言の隙間を縫って阪急で梅田に繰り出して高校の同級生と遊んだ。2回生になって対面授業が少し増えると友達ができて、その子たちの不満をインスタの裏垢に書きながら授業のある日は毎日のようにみんなで大学前のサイゼに行った。バイトに明け暮れてどんどん金遣いが荒くなった。部屋は散らかって買ってから一度も着てない服とZOZOTOWNの段ボールが床を埋める。不自由なコロナ禍でできる限りの自由をかき集めた。早稲田か青学に行きたかったこと、東京で働きたいこと、東京で生きていきたいということ、早稲田大学との交換留学に行きたかったこと。本当に欲しかったその全部が京都の熱にうなされている。大学の友達とは馬が合わなくてバイト先のフリーターとばかり遊ぶようになった。人生で初めてオケオールをした。8時から寝始めるので4限か5限じゃないと授業に行かないことが増えた。月に10万稼いでも全部使い切っていた。5時になって店を追い出されて河原町通を歩く時、朝陽が眩しくなくてよかったと思った。最大瞬間風速の自由をこの子は運んできてくれる。単位も就活も東京も、この子は絶対に口に出さない。だからずっといっしょに遊んだ。2人で両手を繋いで作った内輪だけのストーリーが宝物だった。

気づけば3回生になった。早稲田の交換留学はコロナと生活に巻き込まれてどこかに隠れて、行方不明のリップみたいに最初からなかったことにした。勝ち負けを忘れて、その判定すらわからなくなって、ただ夢も努力も全部が京都の盆地の暑さに茹ってふやけた。ずっとお風呂に入ってしわしわになった指先みたいな、温かくて気持ちよくてどうしようもない無敵の日々だった。この瞬間が続くなら東京になんか行かなくてもいいかもなと思った。だから突然東京に行った。周りがマイナビの使いづらさに文句を言ったり他己分析をしてくれとストーリーでみんなに呼びかけている中、私は東京で働くこと以外何も決められなかった。東京という目標を手放したら大学すらも辞めてしまいそうだった。

久しぶりに着いた朝6時の新宿は相変わらず朝陽が眩しくて、河原町通とは全然違った。責められているみたいで、それでいてそれが嬉しかった。その日はインスタで繋がった子と遊んだ。通学の満員電車や実家暮らしの不自由さを嘆いてはいたけど、一浪して青学に行ったその子の選択肢がとても自由に思えて羨ましかった。きっと予備校には「MARCH英語」も「早慶大国語」もあったんだと思う。その子と見た東京は、これまでよりもずっとぐっと生活そのもので、この非日常を日常にするためならなんだってしようと思ってその子の手をぎゅっと握った。その気持ちをいつでも思い出せるように、やっぱり東京に住みたかった。いつかじゃなくて今住みたかった。

翌朝、戻ってきた京都駅から家まで河原町通を市バスが上る時もやっぱり朝陽は眩しくなかった。光の中で生きたい。やっぱり地方を抜け出してもたどり着いた先が地方じゃダメだったんだ。大阪がダメなら東京しか残されていない。私の最後の希望が東京なのは必然だった。

でも、だからといって、たかが1日東京に行ったくらいじゃ大して何も変わらない。特効薬は効き目が強いほど切れるのが早いし副作用もきつい。1限は遅刻ギリギリに走って大学に向かうし、オケオールはやめられない。ジャンカラの会員ランクは来月シルバーになるらしい。公務員の予備校のオンデマンドは溜まってるし部屋は散らかっている。ZOZOのツケ払いもやめられない。ただ、あの子と遊んでももう瞬間最大風速の風は吹かない。

 


人生の19歳から22歳を京都に置いてきてしまう。やっと地元を抜け出して自分の力でたどり着いた街だ。自由を謳歌したし楽しかったこともたくさんある。決して嫌な思い出ばかりじゃないけど、若さは、21歳はもう二度と来ない。人生の瞬間最大風速はあの子じゃなくて21歳の若さが吹かせていたのかもしれない。私は東京でまた風を吹かせることができるのだろうか。

東京で公務員になろうと思っている。なりたいと思っている。初めて東京に行ったあの時泊まったホテルの25階のレストランでモーニングを食べながら見た都庁。あそこで働いて、遅刻しそうになりながらも正面玄関に向かって走る私の姿をみたあの日の私が喜んでくれたらいいなと思った。それに一般企業だと東京の本社勤務になれるとは限らないし、東京で1人で生きていくためにも安定は必要だから。給料は低いし東京都職員じゃなくて国立大職員や国税局かもしれないし、仮に東京都に採用されても八王子とかの結局また大都市の郊外みたいな、地元より地方な街に配属されて東京らしい東京に暮らせないかもしれない。それでなくともたぶん、六本木のタワマンにも広尾の低層マンションにも私は一生住めない。桃源郷なんてきっとこの世界のどこにもない。恋焦がれた東京で公務員になって30歳で年収400万の私は、週末は家でニトリのソファに座ってネトフリで00年代の邦画を流しながらハーゲンダッツを食べて、たまにわざわざ東京タワーを見るために出向いて歩いていく。TwitterでバスったRANDAのヒールを履いて、あの日の道をタクシーで。CICADAじゃなくてびっくりドンキーでパインバーグディッシュを食べて、ボーナスで奮発して新宿の伊勢丹カルティエのトリニティなんて買っちゃってそれを大事に大事に毎日つけて、一億総中流の流れのど真ん中で東京に沈みたい。地元を抜け出してたどり着いた地方じゃないこの街ならきっと私がちょっとくらい浮かれたって浮かない。